うさぼう(@usabo_tweet)です。
倉下さん(@rashita2)の以下の記事を読みました。
http:// http://rashita.net/blog/?p=17447
いい文章だなと思います。こんな文章を書ける大人になりたいです。
ちょっと飛躍がありますね。
大人だから書けるわけではなく、大人な倉下さんだからこそ書けるのでしょう。
僕もすっかり大人です。あと少しでもう一回成人式できます。
大人であることを意識しなくなってからもう何年も経ちます。
そんな僕に言えること。そんな僕だから言えること。
大人になったからって完璧な姿になるわけじゃない。
羨ましいものは羨ましいですし、褒められたら嬉しい。
何かに憤りを覚えることもあれば、辛いことからなるべく逃げて楽しく生きたい。
「おとな」について考える
今月のメルマガEdge Rankの企画が「おとな」です。
僕にとっておとなであるとは、こどもを守ることです。
子供の成長と共に生き、いつか子供が大人になる日まで精一杯親をつとめます。
その先も親であることに変わりはないでしょうが、一つの区切りな気はします。
振り返って僕は、自分の成人式を二日酔いで欠席しました。
仲間との時間が楽しかったからもあるけど、思い入れのない式典に出席することに納得いかなかった意思もちょっとだけありました。
当時の自分に伝えられるなら、こんなことを伝えます。
- 意義が感じられなくても話だけは聞いておいたほうがいい。
- その時の心境をメモして残しておくといい。
- 何か思いを宣言しておくといい。
- 宣言もやっぱりメモして残しておくといい。
倉下さんの記事の言葉が沁みます。
納得感が少ない人生は虚しさが大きいし、後悔が多い人生は楽しみが少ない。
でもって、人間は愚かしいから、いろいろなところで間違う。そういうことが宿命づけられていると言ってもいい。どれだけ懸命にがんばっても、自分が間違うことがあるというのを受け入れれば、自分以外の人間が間違えたことにも寛容になれるだろう。
完璧主義は、部屋の酸素を減らすだけだ。
さらに引用します。
それは、そう、知識ではないのだ。知識の伝授という形では決して行えないものなのだ。
座学だけでゴルフのスイングがうまくなったりしないように、生きることは生きていく中でしか上達しない。
だからまあ、生きてみるしかないんじゃないかと思う。自分なりに精一杯の形で。
精一杯、親である自分も、自分である自分も生きていきたいと思います。
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