先日より私のタイムラインの周りが突然の訃報に打ちひしがれています。残念ながら私は、その方に面識がないばかりか存在も知りませんでした。
尊敬するベックさんの記事を読むに、東京ライフハック研究会立ち上げ時にも背中を押して下さったのだとか。
ところで私は身近な訃報を経験していません。ここ15年位してないかも。大好きだった祖父以来。
幸せなことに、と書こうとしながら果たしてそれが幸せなことなのか迷います。
だって僕は影響を受けてから会いに行くまで本当に時間がかかるから。
影響を受ける、つまり気に入っているのに時間がかかる。いや気に入ってるからこそ時間がかかる。
著書やブログがあるならある程度読んでから会いたい。全部知ってるなんておこがましいことを思うつもりはなくとも自分なりの基準値がある。
でもそんなことしてていいんだろうか。
最近取り組んでいるスーパーベターの冒険は時間リッチ。時間豊かに感じるためには逆に呼吸をゆっくり深く。いつもと違うことをして意識を高めよ、と説いています。
だったらこれまでの亀のような歩み方は悪くないのかもしれません。
でも興味を持ちながら歩いているうちに帰らぬ人となったら。それでいいんだろうか。
若かった頃に好きだったミュージシャンの墓参りに行きました。あの時は墓参りして満足してた。
でもいつ会いたいあの人が、はたまた自分が帰らぬ人となる日がいつ来るのかなんてわからない。
本当に墓参りでいいのか?そんな一方的な、一面的なやり方で。
昨日までは偏学マップで満足してた。今日からは片思いリストも作って思いをぶつけていこう。あといつもよくしてくれる大好きな人達に向けて伝えたいこと、やりたいことも書き出してすぐに実行していこう。
つるはさんのご冥福を心よりお祈りします。