うさぼうの人生ダッシュボード化計画

仕事や家族との生活、読書や体験から考えたことを書き綴り、人生をゲームのように楽しむヒントを発信中

jMatsuzakiさんのクロージングに涙した2019ブロフェス

うさぼうです。

「2019ブロフェス感想まずはオープニングセッションから」に続いてブロフェス記事第2弾です。

 

当日に以下のようなツイートをしました。これが全てです。

33秒の沈黙

ステージは意味深な沈黙から始まりました。

その時間は33秒。

ジョン・ケイジという方の4:33の無音の曲の第1楽章が33秒なのだそうです。

1秒たりとも無音な時間はない。

無音にしようとしても美しい音を奏でているのだと。

シンプルな発想の転換パラダイムシフトをお届けしたい、という形で幕を開けます。

偉大な音楽家になりたかった過去、そしてブロガーのジレンマ

続いて時は8年前に遡ります。

江東区の6畳の部屋でIKEAの毛布にくるまっていた過去。

1秒でもはやく時間が過ぎ去ってほしいと思っていた過去。

しかし「夢を諦めてまでやるべきようなことはこの世には無い」とさとります。

ただ自分のためにブログを書く

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ブログを書くのには2種類の型があるとjさんは言います。

インサイドアウトとアウトサイドインです。

アウトサイドインは、影響を与えるどころか影響を受けることにしかならない。

一方インサイドアウトは、誰の顔色も伺わずにただ自分のために書き続けるものです。

 

自分のために書き続けると、以下のようなメリットがあります。

  • インプットが深まる
  • 注目されている意識で行動の質が上がる
  • 教える側に立ち思考レベルがあがる
  • 書いた分野は詳しくなる

2018年のブロフェスのライトニングトークで優勝したことも、1500ある自身のブログ記事の中から一番面白いことを話せばよかった、とさらりと言います。

 

ブログには人生を変えるパワーがあり、過去の意味づけを変え人生が望ましい方向に変わると言います。失敗もブログのネタになるため、失敗を恐れなくなります。

自分のために書くのになぜ影響力が上がるのか

ライブ告知を人のために書いていた過去と対比しながら、純粋であればあるほど人のためになる、と説きます。

 

Andy Warholを例にとり、人は作品の奥にある態度を見ていることを説きます。

 

ラオコーン像の感情ほとばしる姿を例にとり、赤裸々なブログのあふれる感情は感染することを説きます。

 

そして、自分のために書いていると、人を説得しようとする不自然さがなくなる、と説きます。

 

甲子園は最強のコンテンツであると例にあげながら、具体論によって抽象的なメッセージを人が想像し受け取れるのだと、説きます。

 

「説いている」とあえて繰り返しましたが、jさんのプレゼンには押し付けがましさはありません。ただ自身が試行錯誤し体現してきたことを話しているだけなのです。

 

それを示すのが以下の「説得するより模範になる」です。

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ブログにはお金に変えられないお金を超えた無限の価値がある

おもむろにjmatsuzaki株式会社の社員になっただいちくんにPV数を尋ねます。もはやPV数にもブログ収益でもなく、それを超えた価値があることを示します。 

今や5人の会社を運営できるようになっています。

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あなたにはあなただけの英雄物語がある

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数々の芸術を例にあげてきたプレゼンの最終は英雄アキレウスの例で締まります。

 

アキレウスの名を皆が知っている理由は、ホメロス叙事詩に書いたからだと言います。書かなければ後世に残ることはなかったかもしれない。

 

だから個人がブログに書くことは意義がある。

 

あなたが英雄物語を書くことは、私(jmatsuzaki)が勇気づけできなかった誰かを勇気づけられるかもしれない。

自分にしかできない特定の誰かを勇気づけること。

これ以上ない偉大な仕事を知らない

 4年以上前からjMatsuzakiブログを読むようになり、セミナーで話を聞き、ライフエンジンで時に遊び、時に手伝いをしながら僕は少しずつ自分と向き合ってきました。

 

jさんからハウツーを学んだのではなく、jさんを模範にして過ごしてきました。

 

それで随分生きることは楽しくなったのだけど、それでも自分が発することに自信が持ちきれてなかった心の棘のようなもの。自分で傷つけてしまっているけどどうにかして救ってあげたい過去の自分。それに似たつらい思いをしていたり、自分の経験や知識があれば救われる誰か。

 

コーチングとかカウンセリングで泣いたという話を聞きますが、僕はそういうことはありませんでした(もちろんコーチングやカウンセリングがあってこそ今日の自分があります)。でもjさんの締めの一言が、いろいろなことを走馬灯のように駆け巡らせて涙腺をゆるめました。

 

あ、そうそう発することに自信が持てなかったのはこのブログではなくて別で書いているブログのほうです。過去の自分の意味づけを変えることがどうしてもできなくて、情をのせてのびのびと書くことができずにいました。

 

このブログではこんなにのびのびと自分のことを書けるのに、なぜ別のブログではうまく感情がのせられないのだろう。

 

そんな自分にjさんがぽんと肩をたたいてくれた気がしました。

ありがとうjさん。