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二宮金次郎と言えば薪背負って読書です。貧しい中で勉学に励んだ姿が勤勉さの手本としてあちこちの小学校に飾られていました。
なぜ二宮金次郎について知りたいか
あの銅像を知らない人はいないものの、どんなことを成し遂げた人なのか思い出せないのです。
二宮金次郎を知るための問い
「知った」ことを自分でチェックするために質問します。
二宮金次郎はなぜ有名なのか
もっとも素晴らしい農民だったから有名になったようです。農民でありながら武士の生活の建て直しまで実現しました。
金次郎(本名は尊徳)は、江戸時代後期の農政家・思想家です。荒地復興や財政建て直しの実績を重ね、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導しました。
早くに父母をなくした金次郎は伯父の家に身を寄せつつ荒地を復興させ、田畑を小作に出し収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功しました。
服部家の財政建て直しから、下野国桜町領の仕法、天領(真岡代官領)の経営で成果を上げた。その方法は報徳仕法として他の範となった。
二宮金次郎は何の本を読んでいたのか
やっぱり気になるこの質問。
結論から言うと『大学』説、次が『論語』説が有力そうです。
二宮金次郎は何の本を読んでたの? - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
二宮金次郎のイノベーションは何か
有名になった理由は数々のイノベーションにあります。
酒匂川の堤防工事では力仕事で役に立てないかわりにわらじを作ることで村人にやる気を起こさせました。余分に作ったわらじを売って父が好きだった酒をプレゼントしました。積小偉大を自ら実践し、ひとにぎりの油菜のたねから栽培し、翌年は油屋でたねを油に変えてもらいました。
服部家の財政建て直しでは、危機意識を持たせ厳しい節約をさせました。一方で素直に謝ると許したり、値切ったりまきの量を節約する工夫に対して褒賞を与えることで使用人の節約を本気にさせました。
桜町の建て直しでは役人の案内を断ってひとりで見て回り、一軒一軒をたずねてまわったとのことです。家や田畑を売り払って桜町に向かった覚悟。村一番の働き者に鍬や鎌を褒美として与えていました。節約を強く進める一方で農民の働くモチベーションを向上させるための手法を取り入れていったのです。
なすの味がいつもと違うことから農民に凶作を知らせました。真岡のわた苗を引き抜いて飢饉に強いひえやあわに植え替えろと指示したのです。
変化に気づいて機会として利用してきたこと、そして人のモチベーションを向上させる術こそが金次郎のイノベーションだったと思います。
終わりに
時間を大切にし、変化を探して対応する金次郎の誠実な姿が多くの人の心を揺さぶりました。銅像は現在は減ってきているようですが、その精神は語り継いでいきたいものです。
100日チャレンジ45日目でした。
ゲーミフィケーション研究家usaboより