うさぼうです。
先日、タスクシュート・オンラインセミナー|タスクシュート公開会 - シゴタノ!仕事を楽しくする研究会議 | Doorkeeperに登壇させて頂きました。
そこでセミナー主催の大橋さんにTCジャーナルってよくあんな濃い内容を毎日書けますね、という話をしたところ、
- 書くって決めてるから制限時間を設けて書ききるようにしている
という話を聞きました。濃い内容、、についてはむしろ長すぎないよう気を遣って分量をおさえてもいるようでしたので、普段からアンテナ貼ってたり日々試行錯誤している内容については、たくさん書くことがあるのだな、と納得をしました。
「書くって決めちゃえばいいんですよ」ということだったのです。
そっか、「じゃあ100日チャレンジ終わったら100日チャレンジのことでも書こうかな」と決めたのがきっかけで、今は数日に一回のペースでエディターに向かっています。
何をもってして「書くって決めちゃえる」のか
要は私の中で、この大橋さんからの一言で「書くって決めちゃえた」わけですが、これは誰からどういうタイミングで言われるかにもよりますし、特に誰から言われるでもなく自分で決めちゃうこともありますが、なかなか自分だけで決めたことがすべてうまくいかないのが難しいところです。
私の中では、信頼している人とのやりとりの中で、自分が普段から考えている内容がすとんと腑に落ちた時、それが自分の中の結論にもなり、行動に踏み出せることが多いです。
初めて電子書籍を書く*1って決めたのもそうでした。あれも別の機会で大橋さんとカフェで話をしていた時に、「なんで書かないの、書くって決めるだけだよ」みたいな話になり、「たしかにそうですね」って思ってその後、動き始めました。
やる気スイッチは押されるべくして押される
「◯◯がきっかけで行動できた」という時のきっかけになりうるものはいろんなものがありえます。人のやる気に火をつけるのが得意な人もいますし、誰かから言われたら火がついて動きやすい、という人もいます。
私の場合は、ある瞬間とか出来事で急にスイッチが入るというよりは、前もっていろんな準備や検討をしていたものがコップの水があふれるように、あるタイミングのスイッチによって動き始めるようです。
そしてそのスイッチは自分と近い思考をする(と私が思っている)先人の方との話の中で押されることが多いようです。
押した側が押した気があるかすらわからない
あくまでもこのスイッチが押されることでスイッチ入りました、という事象は主観的なものなので、おそらく押された側の私が伝えなければ押した側は気づいてすらいないようにも思います。
でもそれでいいと思っていまして、押し押されに強制はなく、あくまでも動こうと思った側が好きに動けばいいのです。
逆もまたしかりで、押す側も過度に気遣わずとも、気軽にこうしたらいいんじゃないかとかああしたらいいんじゃないかと伝えればいいと思います。
そして、押してもらうことで動けた側は、それをせっかくなので押してくれた(と感じる)人に伝えるといいと思います。
100日チャレンジの振り返り投稿が先送りになりましたが、また明日以降に書きます。